日本人とはちみつの歴史
日本人とはちみつは、古くから密接な関係にあります。はちみつは、食用や薬用としてだけでなく、神事や儀式にも用いられてきました。しかし、日本の養蜂は、長い間発展しなかったのも事実です。では、なぜ日本人とはちみつの関係は、こんなにも複雑なのでしょうか?この記事では、日本人とはちみつの歴史を紐解いてみましょう。
日本で最初にミツバチが登場したのはいつ?
日本で最初にミツバチが登場したのは、推古天皇35年(627年)です。『日本書紀』によると、この年の夏に「蝿」と呼ばれる群れが現れて、信濃坂を越えたと記録されています。
この「蝿」がミツバチであることは、後世の注釈で明らかにされています。しかし、このミツバチは、日本固有のニホンミツバチではなく、大陸から渡来したイタリアンビー(西洋ミツバチ)であったと考えられています。
昔の日本人はどうやってはちみつを手に入れていたの?
日本人は、最初から養蜂をしていたわけではありません。養蜂とは、人工的に巣箱を作ってミツバチを飼育することです。日本人は、自然界にある巣から採取する「採蜜」を行っていました1。採蜜は、山中や岩場などにある巣を見つけて、火や煙で追い払ってから行われます。採蜜は危険な作業でしたが、貴重な甘味料や薬品として重宝されました。
はちみつはどのように使われてきたの?
はちみつは、食用や薬用だけでなく、神事や儀式にも使われてきました。食用としては、「餅」や「饅頭」、「羊羹」などの和菓子に使われたほか、「酒」や「醤油」、「味噌」などの発酵食品の原料としても使われました。薬用としては、「咳止め」や「消毒剤」、「栄養補給」などに効果があるとされました。神事や儀式としては、「神饌」として供えたり、神水として飲んだり、神輿や神社に塗ったりしました。はちみつは、神聖なものとして扱われていたのです。
日本の養蜂はいつから始まったの?
日本の養蜂は、明治時代に西洋の養蜂技術が導入されたことで発展しました。それまでの日本では、ニホンミツバチを自然の巣箱に入れて飼育する「旧式養蜂」が行われていましたが、西洋の養蜂では、イタリアンビーを人工的な巣箱に入れて飼育する「新式養蜂」が行われました。
新式養蜂は、巣箱の構造や管理方法が優れており、はちみつの収量や品質が向上しました。また、移動式の巣箱を使って、花の咲く場所に移動する「転地養蜂」も行われるようになりました。
日本の養蜂の現状はどうなっているの?
日本の養蜂の現状は、以下のような特徴があります。
養蜂を行っている戸数や蜂群数は、近年増加傾向にあります。令和元年の養蜂戸数は9,782戸、蜂群数は215千群です。
しかし、日本で消費されるはちみつのほとんどは外国産であり、国産はちみつはたった7%しかありません。日本のはちみつ自給率は約10%です。
養蜂における課題としては、「蜜源の確保」、「農薬との共存」、「蜂病の防止」などが挙げられます。これらに対応するために、養蜂振興法が制定されています。
日本の養蜂はどんな課題に直面しているの?
日本の養蜂は、現在、さまざまな課題に直面しています。その中でも大きなものは、「ミツバチ減少問題」と「外国産はちみつとの競争」です。ミツバチ減少問題とは、世界的にミツバチの数が減っている現象です。
原因としては、「農薬」や「寄生虫」、「気候変動」などが挙げられます。ミツバチ減少問題は、はちみつだけでなく、農作物の受粉にも影響を及ぼします。外国産はちみつとの競争とは、日本国内で消費されるはちみつのほとんどが外国産であることです。
日本産はちみつは、高品質で安全ですが、価格が高くなります。外国産はちみつは、品質や安全性が低い場合もありますが、価格が安くなります。日本の養蜂業者は、このような状況に対応するために、「ブランド化」や「加工品開発」、「消費者教育」などの取り組みを行っています。
記事のまとめ
日本の養蜂は、明治時代に西洋の技術が導入されてから発展しましたが、現在も多くの課題に直面しています。日本人とはちみつの関係は古くからありますが、国産はちみつの消費量は少なく、外国産はちみつとの競争にさらされています。
日本の養蜂業者は、高品質で安全な国産はちみつを生産し、消費者に広めるために努力しています。
消費者は基本的に安いものを求めるので添加物の入ったはちみつ、薄められたものを買う傾向にあります。はちみつの本質を知り、本物を味わうことにより、正しい選択眼とその価値の認知も必要なのではないかと考えております。
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